寝言をいう祖母に死んでくれないかなと思う

 私は祖母と伯母の三人で暮らしている。

 祖母はパーキンソン病でまともに身体を動かすことができない。レビー小体型認知症も併発しており、意思の疎通ができないこともある。私がしていることといえば、昼の薬を飲んでいるかの確認と、日中にお漏らしをした時にたまに掃除する程度だ。介護の9割を伯母に任せっきり。そんな私が祖母に死んでほしいと思うのは酷いことなんだろう。けれど叫ぶような寝言をいう祖母に、早く死んでほしいと思ってしまい、こうして文章に残すことにした。

 

 死んでほしい理由はたくさんある。最初は幻覚と話すのが嫌だった。次はお漏らしの匂いが嫌だった。でも不思議なものでそんなものは慣れてしまった。今は伯母が祖母に向かって怒鳴るのが一番嫌だ。

 

 今日は十一時に祖母の友人が送ってくれた桃が届いたようだった。三十近いにもかかわらず引きこもっている私はその時間在宅しており、ピンポンの音も聞いた。だけどその荷物が桃だなんて思わなかったし、ベッドから出られなかったので、インターフォンは取らなかった。宅配ロッカーに入れてくれるだろうと思っていた。確かに、日時は不明だが桃が届くとは言っていたが、そんなことはすっかり頭から抜け落ちていた。

 それから私は歯医者に行き、精神科に行った。ついでにメガネも新調して、帰宅したのは七時頃だった。私が自分で作った夜ご飯を食べていると、伯母は皿を洗いながら「今日、桃が来てたみたいで再配達依頼したんだけど、まだこない。お風呂も急いで入ったのに。公衆電話から再配達依頼したんだけど、今日に限って混んでいて、前のおばさんが三十分も話してて大変だった」と言い始めた。

 今時公衆電話から再配達依頼をする人がこの世にいるとは思いもしなかった。衝撃だった。伯母はスマホを持っているし、電話をかけることもできるはずだ。電話代がかかるのが嫌だったのかもしれないが、そんなことを掘り下げて機嫌を損ねてはいけないと思ったので「私にラインしてくれたら再配達依頼したのに」と言う。そうしたら「やり方わからないし」と言われた。

 まぁいいか、とご飯を食べ終わり食器を洗い風呂に入っていると、また伯母の怒鳴り声が聞こえてきた。ほとんど毎日聞いている。なんと言っていただろうか。あまり覚えていない。

 もう疲れた、早く死んでくれ、また桃のお返しを送るのも大変なのに。受け取るのも、お返しをするのも全部私。もう桃を送ってこないでって言ってよ。私がこんな風に言うってことは、それだけしんどいってことだ。

 そのように言っていたような気がする。

「こんな風に言うのは、それだけしんどいということ」

 それにはとても共感できた。その行為が正しいかどうかはさておき、伯母の気持ちは痛いほど分かる。だけどそれ以上に怒鳴り声を聞くのが苦しい。私がもっと祖母の介護に積極的であれば、伯母の負担も軽く済み、怒鳴り声を聞かずに済むのかもしれない。だけど私もODをしてしまい数日動けない日や、そうでなくとも何もできずに一日を終える日も多い。何より、何をしたらいいのか分からない。それか、私が一人暮らしをしたらいいんだろう。けどやっぱり働く元気がない。

 ケアマネージャーに相談した。伯母と何度も話し合った。再婚して家を出ていった母にも相談した。そのどれもが解決には至らなかった。

 

「いつも被害者ぶった言い方をするよね」と友達に言われたことがある。だから私のこの文章も、被害者ぶってると思われるかもしれない。そんなつもりは全くないけど、どこかで私は悪くないと思っているのかもしれない。だけど、私が悪いことは分かってる。祖母ではなくて私が死ねばいいのだ。

 私が死ねば、伯母も少しは楽になるだろう。私ももう怒鳴り声を聞かなくていい。上手くいかない人間関係や、将来のことに頭を悩ませる必要もない。

 そうはいっても自分の首にロープを巻くことはおろか、ロープすら用意していない。電気コードは使えるかもしれないけど。死にたいのに死ぬ勇気がない。でもこれからずっとしんどい思いをするより、一瞬辛いだけの方がずっと楽なことはわかる。

 

 何かしらの障害を持っていると思う、と友人から言われたことがある。意地悪で言われたのか親切で言われたのかは分からないが、少なくとも好意的な様子ではなかった。でも精神科の先生にいくら何を話しても「障害を持っているかもね」とは言われなかった。

 精神科に行くのも自立支援を受けるのも、私にはとても勇気がいることだった。病院に行きさえしなければ、ギリギリのところで普通でいられる。普通でいたかったし、普通になりたかった。頭が悪くて、普通の人と同じことができない自分のことを、私も大嫌い。みんなも私のことを好きになれなくて、当たり前だと思う。

 明日もまた死にたい昼を迎えて、祖母が何かして、伯母が怒鳴って、それでも私は生きてるんだろう。こうして自分に陶酔でもしなければ苦しい夜を明かすことができないのだ。